私はけっこう信心深く信仰心が強いほうだと自負している。
先日に車の事故に遭った日のことだが、当日は車のお守りが見当たらなかったのである。成田山不動尊で頂いたお守りがである。
車にいつも付いていた”お守り”。このお守りがドライバーの私を守ってくれていたと思っている。
事故に遭ったその前日くらいから「お守りがないなぁ」と思っていた。
私以外に車を運転することがある息子にも聞いたが知らないという。
まあシート下とかに落ちているだろうと思っていた。そんな矢先に事故に遭ったのである。
まるで冗談のようだがホントの話なんです。
後日に分かったことであるが、”お守り”はどうも息子の友達が持っていた。
自分のと間違えて持っていたと…ほんと笑えません…。
そんな神頼みのところもある私ですから、車が修理から返ってきた時に真っ先にしたことは新しいお守りを頂きに行くことでした。
車を引き取ったその足で成田山不動尊へお参りに行ってきた。
私はお守りを持っているだけで神様に守られている意識になります。
”お守り”を心の依りどころにしていると思う、”お守り”が心を落ち着かせてくれるのです。
神様への信心と同じくらいにご先祖様への気持ち、供養も欠かさないようにしている。
と云ってもやっていることは盆と正月、そしてお彼岸と命日にお墓参りにいく、お寺に供養にいくだけですけど。(笑)
京都で育った私なので私が家のお墓は京都市北部にある。
少し北側には比叡山、東には大文字山を望む静かな場所に私のご先祖様の霊は眠っている。
お参りにいくとき、ほとんどが移動時間でお参りは10分~20分くらい。
大阪に住むようになった私なので普段に京都市北部を訪れることは難しい。
それでも私の心の依りどころなのでしょう。やっぱりお参りに通っている。
神様にお祈りする、そしてご先祖様にお祈りする…この2つはどちらも私の心のよりどころだ。
どうしても心が苦しくて辛いときは誰だってある、私にも逃げ出したい気持ちの日はいくらでもあった。
そんな時に心の依りどころがあれば、静かにそして見守ってくれる気がしたからがんばれる。
私はいつもそう思っている。
-成田山不動尊-