20代の頃、競馬がとても好きだった。
私がまだ20代だったときは競馬ブームが巻き起こっていた。
騎手では武豊がデビューした頃だ。
彼は新人のときから勝ち星を積み重ねて、またたく間に人気ジョッキになり岡部騎手などとリーディングジョッキーを競い合っていたものである。
馬ではオグリキャップ。
地方から中央に転籍して不動の強さを見せつけたものだ。
オグリキャップの名勝負は今でも語り継がれている。
そんな競馬にのめり込んだ私がたどり着いたのが一口馬主である。
競馬をやっている人には色んなタイプがいると思うが、皆一度は馬主になってみたいと思うのではないだろうか。
私も無理だと分かりつつ憧れていた。
そんなある日、一口馬主というのがあることを見つけたのである
サンドピアリスはヒダカ・ブリーダーズ・ユニオンが所有していた馬で一口馬主に提供されていた馬でした。
そのサンドピアリスがエリザベス女王杯に出場してまさかの勝利をしたのである。
20頭立ての20番人気、サンドピアリスが勝利したのである!
サンドピアリスの勝利によって一口馬主の著名度が一気にアップした。
このサンドピアリスが活躍しているヒダカ・ブリーダーズ・ユニオンで、私は『ミスディファレンス』という馬に一口だけ出資をした。
ミスディファレンスの馬主をしている時に結婚したこともあり私にとって、とても思い出深い馬となった。
新婚当時に週末になるとラジオの前で嫁と二人で競馬を聴いて応援したものである。
ミスディファレンスはとても孝行娘であった。
というのは私が結婚して間がない頃に、2着2回その次に2連勝するという快挙を成し遂げたのである。
まさに馬が本格化した時期と重なったのだと思う。
この時の活躍で25万円くらいの入金があった月もあった。
連勝したのは夏前5月だったので、この時の賞金が我が家のエアコンに変わったのが記憶に残っている。
まさに孝行娘の大活躍であった。
ミスディファレンスはその翌年も元気に走ってくれてさらに1勝をプレゼントしてくれた。
活躍したのが500万下とか900万下のクラスだったのでテレビに映ることはほとんどなかったミスディファレンスだが、一度だけテレビで私を大きく感動させてくれた。
それは府中ステークス。東京競馬場で開催された1500万下のレースである。
3時の競馬放送開始直後すぐの発走だったと思う。
ミスディファレンスは4コーナーを廻るまで後位にいた。
テレビは先頭集団を映すためミスディファレンスの影がテレビから消えてしまい、「今日はだめかぁ」と思った矢先に後方からすごい勢いで差を詰めてくる馬がいた。
それがミスディファレンスだったのである!!
広い東京競馬場の特性を生かして4コーナーまで我慢していたのであろう、そこから着実に一歩づつ確実に差を詰める追い上げを魅せてくれたのである。
この時の追い上げはまさに涙ものであった。
あのオグリキャップがジャパンカップで魅せた追い上げとダブってしまうくらい、観ている人たちを魅了したであろう。
結果は3着だった。
でも着順よりも必死に追い上げてくるミスディファレンスに、一歩一歩確実に先頭の馬との差を詰めてくるミスディファレンスに感動したのを憶えている。
その年の夏にG3レースの北九州記念を走り、秋には引退してしまった。
ミスディファレンスとの出会いは競馬が大好きだった20代の大切な思い出になっている。
ミスディファレンスが私の心のページを彩っていることは確かである。
ありがとうミスディファレンス、永遠であれ。