「経済の本なのに異様に面白い」という言葉、キャッチコピーにつられて本を買った。
その本のタイトルは、「父が娘に語る経済の話。」である。
この本の著者は危機的状況にあったあのギリシャで財務大臣をしていたひとです。
著者が自分の娘さんに経済を話すという進めかたで書かれている、そんな内容の本でした。
私は最近、少しでも勉強になればとビジネス書を読むようにしている。
読書時間を捻出するのが辛いが、目標の読書量は月に1冊読むこととしている。
活字中毒で云っていながら今さら読書??
自分でも変かもとは思うが、普段は軽いライトな話しか読んでいない。
頭の休憩になるライトな小説を読むのと、ハードカバーのビジネス書を読むのとでは天と地の差がある。
楽に読めるか、または真剣に読む必要があるかの大きな違いがある。
同じ読むという行為でも大きく違う。だからビジネス書はどれだけ頑張っても月に1冊程度しか読むことが出来ない。
今さらではあるが読書に少し思い入れがある。
なにも勉強しないより内容が難しくて頭が理解出来ないにしても、本を読んでいるのと、なにも読まずに勉強をしていないのとでは先々で差が出るのではないだろうか。
そんな気がしている。
わたしは今さらではあるが本を読んでいる。
今、私は変わろうとしているのだろうか?
緊急度の高いことより重要度の高いこと。簡単なことより難しいことから取り組もうとは考えている。
でもこれはなかなかに難しい。
例えば、英語の勉強、ビジネスや経済の勉強、文章の書き方とか、人生の捉え方とか…こんなことが重要度が高いと思う。
重要度は高いけど緊急度が低いこと、それは今まで手を付けずにいた。
変革(?)の今は、そんなことこそ大切に取り組んでいきたいと思っている。
そのためには緊急度が高いことを後回しにすることも出てくると思う。
重要度と緊急度で大切さの順序は下記であろうか。
1,重要で且つ緊急である。
2,重要ではあるが緊急ではない。
3,緊急ではあるが重要ではない。
4,緊急ではなくて重要でもない。
これが私が考える仕事や物事の大切さである。
特に大切なのは2番、重要ではあるが緊急ではないこと。
身の回りで言えば、英会話力だろう。
今すぐに英会話力は必要でない、しかし英語が出来ることが前提になる社会は、すぐ目の前まで迫ってきていると思う。
2番がどれだけ重要か分かってもらえるだろうか?
この本を読んでよかったと思えたのは資本主義が分かること。
市場のこと、格差のことなど、特に格差がなぜ生まれたとかは非常に分かりやすく述べられていた。
たぶん10代なかばの娘さんに説明するような語り口で書かれているからだ。
時には映画の話なんかも織り交ぜながら、分かりやすく書かれている。
この本を読めば今の経済の仕組みがどんな歴史を経て成り立っているのかが分かる。
ただ単に、経済イコールお金と考えていただけの私からすると、「へぇーそうなんだ」と感嘆を繰り返すこととなる。
読後に思うのは、話の内容が頭にどれだけ残っているか。
本に書かれていることすべてが頭には入っていない、しかし記憶の断片が確かに頭に残っている。
すべてを忘れてしまう前に、断片を組み合わせたり切り取ったりして少し抗ってみようかと思う。