mac-3's blog

好きなことを楽しむブログ。

京アニの事件から考えたこと。

もはやテロ行為といえる京アニでの火災。

お亡くなりになれた方々のご冥福をお祈りいたします。

 

私にとって京アニは『涼宮ハルヒの憂鬱』からお気に入りのアニメスタジオです。

その後くらいからアニメを観る機会がめっきりと減っていっても、『氷菓』とか、『聲の形』とかを観て映像のきれいさとか繊細さに感嘆していました。

 

京アニは京都を拠点にしたアニメスタジオ、東京ではないんだというくらいの認識でした。

当然、今回の事件まで京都のどこに工場や事務所があるかしりません。

 

あの事件で宇治とか六地蔵とか聞き慣れた地名がネットで飛び交っているのを聞いて、始めて地元と近いことを知りました。

 

私が育った街が京都の伏見、当然、宇治とか六地蔵は私の行動範囲内でした。

車や自転車でなんどもなんども訪れた街です。

それだけにとっても身近な街で起こった事件が他人事には思えませんでした。

 

今でこそ京都から離れて住んでいますが、自分という人間が形成されたのは間違いなくあの街です。

 

その街で起こった悲しい事件、私が思うにはもっと被害を小さくすることが出来なかったのかということです。

 

もちろん普通の災害に対処出来る対応や準備はされていたでしょう。

建物も建築基準法に合致していたようですし、「これ以上どうしろと?」とオーナーからは言われそうです。

 

でも火災の建物をぱっと見た感じ、私が思ったのは窓が少ないこと。

比較的おおきな建物にしては小さな窓しかなくて建物サイズに対して窓が少ないことが気になりました。

 

「そんな建物はいっぱいあるよ」言われればそれまでですがね。

 

確かに建築基準が守られているので十分なのかもしれないです。

でも実際に悲しい事件が発生した後で思うと、窓の数とか大きさとか、屋上とかベランダとか、もっと逃げ道を確保出来る作りに出来なかったのかということ。

 

もちろん、どれだけ強固に作った建物でも、セキュリティを高めたとしても、相手がテロリストだと想定すれば、全てが役たたずになるかもしれません。

 

テロリストは自身や仲間を犠牲にしてでも敵対者にダメージ与えるのが使命ですから、どれだけ強固にしても意味がないかもしれません。

 

でも火災で電力がダウンしても、煙が迫ってきたとしても、逃げるための選択肢は何本かあるべきだと思います。

 

私の勝手な思いですが私はそんな思いを持ちました。

 

では私の会社や職場であればどうでしょうか。

一応東西南北の角に全て階段があることと、壁には窓がいくつもあります。

その場でパニックが起きない限りはどれかのルート使って対応は出来そうだとは思っています。

 

安全なのが当たり前、それが今までの日本でした。

でも今はそうだと言いきれません、いつ何が起こるか分かりません。

今回の京アニの事件から、安全やセキュリティを常に考えて動かないといけない時代に突入したのかもしれません。