明日、我が家の息子が晴れて成人式を迎えます。
今日は明日からおとな!?になる息子のスーツを買いにア◯キにお邪魔しました。
思い出すのは息子が小さかった頃ばかり。
私にとってのあの日、生まれた日から昨日までが、すべてが私の記憶の中にあります。
今日は過ぎ去ったそんな日を懐かしく思い出しながら、息子のスーツを買いました。
もう数十年前に私も成人しました。
でも私には成人式の記憶はありません。
そうです成人式には参加していないのです。
当時、私が育った京都市では成人式に参加するのに申込みが必要でした。
京都市から式へ参加するプッシュ通知があるわけではなくて、こちらから積極的に動かないと参加が出来ない、そんな申し込み制の成人式でした。
その当時、どちらかと言えば控えめ!?だった私は式に参加する”はがき”を出すでもなく、参加しませんでした。
大人になってから聞いた話では、たいていの町では町から招待状が届いて参加するのがほとんどだと聞いて、ちょっと悔しく感じたものです。
今でも京都は申し込み制なのでしょうか?
私のように積極的になれない若者たちに悔しい思いをさせないために成人式の間口を広げることはして欲しいな。
そんな思いはあります。
私の成人式を思い出すとその日はとても寒かったこと。
それでも献血に行ったこと。
その当時にテレビをつけると、ちょくちょく流れていたCMがありました。
「僕は~二十歳の記念に献血をするつもりです~」の歌が流れる献血キャンペーン。
このCMを観ていた当時の私は「二十歳になったら献血しないとだめなんだ」と思い込んでいました。
成人式に出るつもりはないのにです。
式の日の電車とバスを乗り継いで成人式会場の”京都会館”までひとり行きました。
そして献血だけして帰ったのです。
今思えば、「何しているの?」ですよね。
でもこの訳がわからん行動が、二十歳なのだと思います。
理屈とか合理性とか考えなしに心の赴くままに動くこと。
本能のままに動くことが出来ること、それが二十歳によさではないでしょうか?
今の私であれば、たとえ献血するにしてもセレモニーの日に動きません。
式典の会場には近づかないでしょう。
でもその当時の私は献血するだけで満足したのです。
だって献血したことが今でも楽しい記憶に含まれているのですから。
うちの息子はどうでしょうか?
成人式のその日を楽しい思い出に加えることが出来るでしょうか?
中学の旧友に会えることをとても楽しみにしているようです。
成人式が彼の新たな1ページとなりますように!