「これって現実なんだろうなぁ」
この映画の中にはとても悲しい現実がありました。
映画の情報をみても、どこにもドキュメンタリーとは書いていない。
ということはフィクションである。
でも映画を観た感想としてはとてもドキュメンタリーな映画であったこと。
もちろん17歳の少女がひとりで広島から岩手まで学生服のまま旅をしているわけがないと思う。
もし大したお金ももたないでヒッチハイクで岩手まで移動したとしたら、色んなもの語りが生まれるとは思う。
この映画のように助けてくれる人もいるだろうし、クルド人のファミリーと触れ合うことだってあるかもしれない。
でもひとつのお話、一つの映画にするには、主人公の”ハル”は儚すぎて、若すぎて、高校生すぎた。
ハルは震災で家族が津波に流されました。
家と家族を一度に失くした彼女、その後に広島に住む叔母さんと一緒に暮らしている。
ハルはこころにキズを受けているが、ハルに寄り添ってくれる叔母さんの愛情を受けて
広島では普通の生活、高校生活を送っていた。
そんなある日、帰宅すると叔母さんが部屋で倒れていた。
家と大事な家族だけでなく、やさしくしてくれる叔母さんまで奪われると感じたハルはすっかり焦燥してしまう。
9年前のあの日から一度も帰っていなかった大槌町に帰ることである。
学校の制服で移動初めたことから思いつきで動いたことが分かる。
三浦友和から「目が死んでいる」と言われたくらい。
もしかしたら「皆んなに会える」ことを、「家に帰る=”自殺”」ということ選んでいたのかもしれない。
ハルは故郷に帰る途中で色んなひとと出会う。
「生きているんだから、食べろ!」と三浦友和に言われたり。
妊婦さんと出会って人間の胎動を感じたりして、ちょっとずつ大槌町に受けて移動を続けていた。
夜にバス停でパンを食べていたところをナンパ野郎に危ない目にも合いそうにもなった。
その時助けてくれた福島出身の西島秀俊と、車で埼玉、福島、そして大槌町まで移動をすることになる。
埼玉ではクルド人の家族と出会い、福島では原発問題で生まれた土地を離れた西田敏行とも出会った。
「人間は生まれた土地が一番なんだ」、西田敏行が生まれた土地で死んでいくことの本能を語っていた。
この映画には、震災の悲しみがずっしりとのしかかっている。
主役のハルが復興している岩手を見て云ったことばが耳に残る。
「みんな地震なんてなかったように、津波なんてなかったように暮らしている」
でもみんなその裏には悲しみを持っているのでしょう、ハルのように…。
危険なナンパ野郎たち以外は、どのひともいい人ばかり。
みんながハルに言いたかったことは「生きろ!」ということ。
「おまえが居なくなったら誰が家族を思い出すんだ」ということ。
映画の最後は『風の電話』でハルが家族に向けて話して映画は終わります。
2万人近くのひとが亡くなり、そして行方不明になった東日本大震災。
悲しい現実はその後にも大きな影を忍ばせています。
神さまは越えられない試練は与えないと信じています。
「きっとあなたなら、悲しみが分かるハルなら大丈夫!」
みんなが力強く生きられますように…
そう願ってやまない、ドキュメンタリーのような映画でした。