最近、思い出すのです、こどもの頃のことを。
それは保育園に通っていた当時、わたしが6歳のときの話です。
当時は親父はすでに他界していましたが、父親の家族と一緒に住んでいました。
それほど大きな家です。
平屋の家に、母親とわたしたち兄弟3人、それにじいちゃんとばあちゃん、後はおじさんが結婚するまでは、確か一緒に住んでいたと思います。
母親は親父が亡くなったあとも、そのまま父親の家族と一緒に住んでいたのです。
どんな気持ちで一緒に住んでいたのか、この当時、保育園児だったわたしには良く分かりません。
でも母親にとって、義父母と一緒に暮らすのは嫌なこともあったのでしょう、たぶん。
だから父親が亡くなったあと、5年後くらいに家を出て自立生活を始めたのでした。
当時、女性がフルに働くことは非常に珍しいかったと思います。
母親も電車通勤をしていても、廻りは男性ばかりだったと言っていましたから。
そんな母親が別居を始めました。
まず、気付けば母親だけが暮らしていた家を出たのです。
当然、保育園児のわたしは何も聞いていません。
我々、子どもはどうしたでしょう?
兄姉からは、「この家を出ていくけど、おまえはどうする?」
みたいなことを聞かれたのを憶えています。
当時のわたしは、事の重大さがまったく分かっていません。
ちょうどその時、住んでいた家で玄関の鍵を新しいのに変えたのでした。
新しい鍵を開け締めするのが楽しくて、ばあちゃんから「家に残ったら毎日、カギ締めさせたるで!」と言われたこともあって、「残るのもいいなぁ」なんて考えていたのです。
そして実際に兄姉が母親のところに行くことになった時…、急にものすごい寂しさがわたしに襲ってきたのでした。
「待って、僕も行く!!」
兄姉が出ていこうとした時に、自分もと叔父の車に乗って家を出たのでした。
今に思えば、ものすごい決断を保育園児がしたのです。
こんなもの、保育園児に判断させんなや!!!
もし仮にひとりだけ、じいちゃん家に残っていたら今頃どうなっていたか…。
今のわたしは存在しないし、居なかったかもしれませんねぇ。
今思いだすと、あのカギを取り替えたのだって、母親が家を出たからなのでしょう。
二度と家に入れない!、みたいな思いがじいちゃんとばあちゃんにあったから、カギの取替えに走ったのかもしれないですね。
3人兄弟が母親のところに着くと、母親は「一緒にきたんだ」とわたしも一緒だったことをとても喜んでくれました。
どうも母親はわたしだけ残る可能性も考えたみたいです。
たぶんじいちゃんとばあちゃんが寂しいから、末っ子のわたしだけを手放さない可能性があったのでしょう。
だからわたしが一緒に母の元へ移ったのが、とても嬉しかったのかもしれません。
あれから50年…
いまでは夫婦がくっ付くとか、離婚するとか、別に珍しくなくなって、あちこちで起こっていることです。
でもね、小さな子どもに、状況が分かっていない子どもに、「どちらについていく?」みたいな判断をさせないで上げてください。
50歳を通り過ぎた今でも、あの日の出来事は、とても鮮やかに憶えているのですから。