『余裕を持つ』という事は、『セカンド』を持つということ。
人間ぎりぎりで生活しているとちょっとしたことで波風がたったり、気持ちがブレたりとすぐにやばい状況に追い込まれてしまう。
余裕がないのは嫌なものだ。すぐにカリカリと小さく怒ってしまう。
いつも心に余裕を持っておきたい。
そうは思ってもゆとりがないものはしょうがない、実にままならないものである。
「余裕を持つ」のは大切だと分かるがどうすれば余裕を持ちことが出来るのだろうか?
余裕があるということは心にゆとりが出来ること。
ゆとりがないとつまずきやすいし、思い切り攻めることも出来ないだろう。
余裕やゆとりは暮らしを豊かにする大切な要素であると私は思う。
私が考えるに、「余裕がある」状態にするためにはセカンドを持つことが重要だと思っている。
セカンドを持つ。
言葉を変えれば、”予備”とか、”控え”とか、を持つという事になるのだろうか。
または、”替えを持つ”と云えばよいのかもしれない。
人間は予備とか替えを持たない状態だと守備的な守りの体制になりやすいと思う。
でもセカンドを持っていれば余裕が生まれて守備に廻ることなく、「あと一歩」の攻めが出来ると思う。
この”あと一歩”の差が、勝敗を決めたりするのでないかと思っているしだいである。
余裕を持たない人と持っている人。
真に豊かな生活をおくるためには『セカンドを持つ』ことの大切さを学ぶべきだろうと私は思う。
『セカンドを持つ』ことが余裕を生む考えはなにも物だけの話ではない。
確かに物は分かりやすい。
大切に使っていても、ひとつしか持っていなければパワーを100%発揮させずに壊さないように扱ってしまうだろう。
仕事でも同だ。
セカンドがないのは他に道がないということ。この場合にはどうしても守りに入ってしまう。
仕事を失くす=途方に暮れる という事になる。
そんなことにならないように守りの仕事に入ってしまう、これはある意味しかたがないことなのかもしれない。
だが、もし仕事にもセカンドがあればどうだろうか?
余裕を持つことが出来る。
何も理不尽につきあわされてまで、最後までファーストの仕事にこだわり続ける必要とかはなくなる。
イエスマンになってしまうことはなくなるのではないだろうか。
そうするほうが必然的に良い方向に回りだす。私はそんな事を思っています。
そしてちょっとヒンシュクな話だが男女の中も同じ。
もしセカンドになりうる人が身近にいたとしたら、心に持つ余裕とかゆとりが大きく違ってくる。
その余裕が周りとのより良い関係を構築されてくれると私は思う。
試したことはないですが。笑