「あのこは貴族」を観た。貴族でも庶民でも大切なのは……
日本には格差、階級、階層が存在する。
同じ東京に住んでいても違う階層の人とはけっして交わらない…そんな棲み分けが出来ているそうです。
ハイクラスの人たちを上流階級と呼んだり上級国民なんて呼んだりしますよね。
そのハイクラスな人と庶民が出会ってから織りなす移ろいを題材にした映画を観ました。
映画のタイトルは『あのこは貴族』です。
この映画は上流階級で育った女性と地方から東京に出てきた庶民の女性の目線で話が構成されています。
ふたりに共通するあるひとりの男性を通して、知り合ってからの人間模様とか女性の成長を物語った映画でした。
私みたいなまったくの庶民には、繋がりがないけれど日本に上流階級や上流国民がいることは知っています。
国会議員だってそうかもしれません。
ほとんどの議員さんは”先生”です。弁護士とか医師とか。
”し”と言われるひとばかりです。
ハイクラスの人たちですね、そのハイクラスの人達が日本を回しているのです。
サラリーマン出身の女性議員である、やたわかこさんが「サラリーマンの声を国会に伝えたい」と言っていたのが今はよく分かります。
上級の人たちとサラリーマンとは感覚が違うのでしょう。
映画の始まりは上級階級の華子さんを中心にした話です。
華子さんは完璧な箱入りお嬢様、世間知らずで痛みなんか知らないって感じです。
その華子さん、年のはじめに婚約者に振られて、でも結婚がしたくて色んな人を紹介してもらって、そして駄目を繰り返す…
最後はお義兄さんの紹介でした。
出会った男性が自分の家庭よりさらにハイクラスな弁護士。
この男性と結婚しますが、最後は離婚して自分のちからで生活をして、自由の翼を手に入れるみたいなストーリーです。
上流階級の生活を見ていたらちょっと思い出したのが、私の親戚筋のひと。
普段からタクシーに乗るのが普通の人がいたなぁ…と思い出していました。
もしかしたらあの人達も上流階級だったのかもしれません。
少なくとも私と生活レベルではランクが違いましたから。
映画の最後で華子さんはしあわせそうでした。
なんか上流階級より庶民でいることが”しあわせ”を思わせる終わり方ではありました。
でも、私の考える、”しあわせ”は、不変ではないと言うこと。
鳥と恐竜の話はご存知でしょうか。
鳥は学術的には恐竜なのです。
まぎれもなく肉食恐竜の直系の子孫なのです。
その昔、鳥は弱い部類の恐竜でした。
弱いため木の上に活路を見出して生活するようになったのです。
木から木に飛び移って生活をしているうちに空を飛べるようになって、今の時代まで生き残っているのが鳥です。
今では「空の覇者」と言えるくらいの繁殖です。
あの弱かった鳥が今では空の覇者です。
鳥の例で言えるのは、弱いものは永遠に弱いわけではありません。
逆に強いものが未来永劫に強いわけでもありません。
この考えなら、今はしあわせではないかもしれないけれど、ずっとしあわせでない訳ではないこと。
そしてしあわせと思っていることが、未来永劫にしあわせな事ではないのかもしれないと言うことです。
思うに結局は自分の人生ですよね、上流でも庶民でも自身で考えて歩むことが大切。
これは変わりがありません、私はそう思います。