スピリチュアル的な何か…
人間はしあわせになることが決まっている、人生なんて自分が設定したとおりに歩んでいるだけ。
スピリチュアルに興味を持ってから「いかに自分を設定しているか」を考えることが多い。
嫌なことや苦しいことがあったとしても、相手とか周りに対してではなくて、自分に対してどうあるべきか。
それは自分の中にある”内”に対して、問いかけて、そして動くようである。
その時、缶上げているのはいつも同じ、「簡単でやさしいモードで行こう!」の気持ちだ。
苦しいときだからこそかもしれないが、自身に対して設定しているのは、”簡単でやさしいモード”を実行することである。
自分の人生の主役は自分自身である。
これは間違いないこと、必然である。
そう考えると「自分を中心に自分の人生が動いている」っと思うことが出来るのです。
たとえば周りの人が怒っていたとする。
でもそれは、その人がその人のパワーを使って怒っているだけ。
気にしないことが出来るなら、自身には何も影響がないことを分かると思います。
周りはあくまで副、主は自分自身。そうこれなんです。
最近になってもう一つ気になったのが、シャンパンタワーのトップグラスになった気持ちでいること。
これも「自分の人生、自分が主役」といっしょだと思っています。
自分の人生なんだから、自分がトップなの当然ですね。
自身がトップグラス、シャンパンで満たされることで、はじめて周りのグラスにシャンパンを満たすことが出来るのです。
まずは自分を満たすこと、自分自身をしあわせにすることです。
自分自身がしあわせでないと、決してまわりをしあわせには出来ません…と言うことですよね。
最後にひとつ、私が実行している呪文?習慣?のことばがあります。
それは、「あしたは今までで最高にしあわせな日になる。」「過去一番にしあわせな日になる。」と寝る前に自己暗示を掛けること。
これを毎日実行しています。
これを実行することで、次の日に「本当にしあわせな日が始まる。」っとプラス思考から始めることが出来るのです。
”しあわせ”なんて、結局はこころの持ちかた次第ですから。
同じ環境で同じ状況に出会ったとしても、それを”しあわせ”と感じるか。
はたまた何も感じないで流してしまうか、それはその人の感じかたひとつなのです。
”しあわせ”って儚いですよね。
存在しているのに気づいてもらえないことがある…
”悲しい”とか、”怒り”は割と意識することが出来るのに…
あぁ、”しあわせ”と言うのはとても儚いものですね。