mac-3's blog

好きなことを楽しむブログ。

スピリチュアル的な何か…

人間はしあわせになることが決まっている、人生なんて自分が設定したとおりに歩んでいるだけ。

 

スピリチュアルに興味を持ってから「いかに自分を設定しているか」を考えることが多い。

嫌なことや苦しいことがあったとしても、相手とか周りに対してではなくて、自分に対してどうあるべきか。

それは自分の中にある”内”に対して、問いかけて、そして動くようである。

 

その時、缶上げているのはいつも同じ、「簡単でやさしいモードで行こう!」の気持ちだ。

苦しいときだからこそかもしれないが、自身に対して設定しているのは、”簡単でやさしいモード”を実行することである。

 

自分の人生の主役は自分自身である。

これは間違いないこと、必然である。

そう考えると「自分を中心に自分の人生が動いている」っと思うことが出来るのです。

 

たとえば周りの人が怒っていたとする。

でもそれは、その人がその人のパワーを使って怒っているだけ。

気にしないことが出来るなら、自身には何も影響がないことを分かると思います。

周りはあくまで副、主は自分自身。そうこれなんです。

 

最近になってもう一つ気になったのが、シャンパンタワーのトップグラスになった気持ちでいること。

 

これも「自分の人生、自分が主役」といっしょだと思っています。

自分の人生なんだから、自分がトップなの当然ですね。

 

自身がトップグラス、シャンパンで満たされることで、はじめて周りのグラスにシャンパンを満たすことが出来るのです。

まずは自分を満たすこと、自分自身をしあわせにすることです。

自分自身がしあわせでないと、決してまわりをしあわせには出来ません…と言うことですよね。

 

最後にひとつ、私が実行している呪文?習慣?のことばがあります。

それは、「あしたは今までで最高にしあわせな日になる。」「過去一番にしあわせな日になる。」と寝る前に自己暗示を掛けること。

これを毎日実行しています。

 

これを実行することで、次の日に「本当にしあわせな日が始まる。」っとプラス思考から始めることが出来るのです。

 

”しあわせ”なんて、結局はこころの持ちかた次第ですから。

同じ環境で同じ状況に出会ったとしても、それを”しあわせ”と感じるか。

はたまた何も感じないで流してしまうか、それはその人の感じかたひとつなのです。

 

”しあわせ”って儚いですよね。

存在しているのに気づいてもらえないことがある…

”悲しい”とか、”怒り”は割と意識することが出来るのに…

あぁ、”しあわせ”と言うのはとても儚いものですね。