すべては悲嘆から始まったのだろう…
少し前の事件ですが、ハロウィンの夜に東京の京王線で無差別テロと言える凶行犯罪がありましたよね。
電車内という不特定な人がいる公共の場所で、乗客を刃物で切りつけたり、座席に火をつけたり、もうやりたい放題でまさに無差別テロと言える犯罪だったと思います。
いままでこんな犯罪は日本で少なかったのに、日本が変わってきたなと思う犯罪でした。
容疑者の男性は、「二人以上殺したら死刑になれると思った。」その上での犯行だったそうです。
容疑者は人生に悲嘆して死にたかったのでしょうか?
誰もが気づいていると思うのですが、人生は山あり谷ありです。
盛り上がるときもあるでしょうが、落ち込むときだってあるのです。
失恋するとか、受験に失敗するとか、生きていると挫折を感じることやイベントは山ほどあります。
でもそんな挫折を落ち込みを乗り越えて、「みんなおとなになっていく」と思うのです。
自分の経験から言えば、乗り越えるのに長く掛かってもいい、挫折とか落ち込みを乗り越えて、はじめて人の心が分かる痛みがわかる人になれると思います。
挫折が一皮むけて成長出来るチャンスなのです。
電車内での凶行、こんな怖い犯罪は以前には聞かなかったですよね。
いくら人生に悲嘆したとしても、電車内で無差別テロを実行しようという考えすらなかったと思うのです、日本人には。
私が思う日本人のイメージでは、耐えられないほどの悲しいことがあった時、人生がイヤになった時の究極は、自身の命を立つことでした。
「自分を世の中からフェードアウトさせる」のが今までの日本人だったと思うのです。
でも京王線の事件なんかみていると、完全に今までの日本人と思考が違いますよね。
人生に悲嘆して、世の中から自身をフェードアウトさせるのではなく、世の中の悪い奴らをやっつけてからフェードアウトしてやろう。
そんな考えにたどり着く人たちがいるみたいです。
この考えは以前から海外にありました。
例えば、アメリカのラスベガスで起こったホテルから銃を乱射した事件。
日本じゃ銃保持を認められていないから、銃乱射なんてことはまず考えられないですが、海外では銃保持が可能な国もあるので起こってもおかしくありません。
自分がフェードアウトする前に、さきに世の中の人をやっつけてやろう。
なんて思いが、手っ取り早く無差別テロを起こすことは十分予測されます。
日本が欧米かしたのか…それとも時代が変わったのか…
私はたぶん後者と思うのです。
そう考えると、凶悪化したテロ犯罪ってこれからも起こるのでしょう。
嫌でも避けられない事実なのでしょうか……